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412月 2023

俳句という伝え方

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 教室の井上和興先生は短歌が趣味で、西部医師会誌にも掲載されています。彼に触発されてというわけではないけれど、私は以前から俳句に興味があり、芭蕉や水原秋櫻子編の俳句歳時記などをながめながら、とくどき思いついて俳句をよんでみたりする。最近は、ふとしたときに気になる情景をスナップにとり、あとで俳句をかさねるフォト俳句を試している。

アオガエル ジッと待てども ふみはこず

 

 先日の秋彼岸の折り、母が亡くなり空き家となった実家に帰り、墓掃除や花立てをやった。久しぶりに実家に到着して玄関を開けようとしたとき、玄関先の金属製の郵便受けの上に小さなアマガエルが一匹しずかにとどまっている。すでに主のいない実家は物寂しく、ときおり思い出したように母に由来する郵便が届くだけである。そのときはそこまで考えなかったけれど、何となく気になって撮った写真である。あとになって、何が気になったのか考えてみると、誰も住まない、これからも住むことのない家の郵便受けにカエルがしずかに静止している。何か物悲しく、しかし、近づいても微動だにしない凛とした座り姿が、印象的だった。そんな思いから生まれたのが、この句である。フェイスブックに写真と句をあげると、ある人から「どこからのふみ?」というコメントがついた。カエルはどこからの「ふみ」を待っているのだろうか。過去からの「ふみ」か、いま現在の「ふみ」か。だれに宛てられた「ふみ」か。本当は「だれ」が「ふみ」を待っているのか。いろいろ説明したくなるが、あえてコメントはしないことにした。さまざまに解釈できるから俳句は面白い。

 さらに考える。もし、この写真がなければ、「ふみ」の意味がわからない。空き家となった実家の雰囲気が伝わらなければ、句の意味がとおらない。そうなると、この句は非常にプライベートな個人的な体験や感情と関係している。そのような背景を知らない人にとっては、「カエルが手紙を待つって、、どういうこと?」で、??で終わる俳句であろう。だが、私にとっては、ふみの来ない郵便受けに、しずかに佇むカエルは、なにものかを仮託するに充分なのである。

どうやら私は、自然のなかに人の想いを投影した句が好きなようだ。

 

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声(芭蕉)

芭蕉はすごい。「閑さや(しずかさや)」でこころがしずまり、そこに「岩にしみいる」、なにが、川の音か?いやいや「蝉の声」がよ。えー、あのアブラゼミのジ―ジーという声が岩にしみいるのか。誰もいない夏の山上でセミがしきりに鳴いている、汗が流れ落ちる、暑くてたまらぬ、だが周りのこの静けさはどうだ。そういう情景と思いが、この句に凝縮されている。芭蕉はやっぱりスゲー。

日本では陰暦で、1年を24と72の季節に分け、それぞれに美しい名前がつけられた二十四節気と七十二候が決められている。ちょうど今頃は、秋分の七十二候「水始涸(みずはじめてかれる)」。田んぼの水は落とされ、稲刈りも終わりつつある。

釣瓶落としといへど 光芒 しづかなり(秋櫻子)

 なんともいえない静かなたたずまいの句ではないか。秋の夕暮れは釣瓶落としの如くはやい、けれどもその一瞬の光芒は静謐である。一瞬が永遠に転換するような表現だ。水原秋櫻子は東大出身の産婦人科医で大正から昭和初期に活躍した俳人である。彼の編纂した俳句歳時記には、季節ごとの季語とそれにまつわるお薦めの俳句がならんでいる。

 月の表現にも趣がある。今年の中秋の名月は、陰暦8月15日(2023年9月29日)、良く晴れていたので私もベランダから満月を眺めていた。まさに月光浴と呼ぶにふさわしい月の光が降り注いでいた。この名月を囲んで、陰暦8/14を待宵(まつよい)、8/16十六夜(いざよい)、8/17立待月(たちまちづき)、8/18居待月(いまちづき)、8/19寝待月(ねまちづき)、8/19以降は宵闇(よいやみ)。日本人はいかに月を愛でることが好きだったのか。この名づけでもよくわかる。名月の前後で月の出が徐々に夜遅くなるにしたがい、いざよい→たちまちづき→いまちづき→ねまちづき、とはねえ。さらに雨や雲で名月がみえないときには無月(むげつ)という季語もある。

寝待月 灯のいろに似て いでにけり(五十崎古郷)

 すこし赤味のある月が夜遅くにのぼってくる、その趣を見事にいいとめている。テレビもない、ネットもない、スマホもない。そういう環境がつい100年前の日本では当たり前だった。そのとき日本人は、月を愛でながら秋の夜長を過ごしていたのか。現代と過去とどちらがこころ豊かな世界なのだろうか。

 

下手の横好きではないけれど、ふとした瞬間の気づきのようなもの、何かがひっかかる感覚には、たぶん意味がある。それはあなたにしか感じられない何かだ。その何かを表現できる俳句という芸術に、私はつよく魅かれるのである。

 

Author:谷口晋一


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