Preloader
 
Home / Blog / 彼が一つの作品を通じて伝えたかったこと
219月 2022

彼が一つの作品を通じて伝えたかったこと

鳥取大学地域医療学講座発信のブログです。
執筆、講演、研修、取材の依頼はお気軽にこちらからお問い合わせください。


 「愛情物語(The Eddy Duchin Story)」という映画を観た。1956年のアメリカ映画である。主人公のエディは、ピアニストになるためボストンからニューヨークにやってくる。たまたま彼のピアノを聞いた名家の令嬢マージョリーの後押しもあり楽団に入団し、ピアニストとして認められるようになる。エディはそのマージョリーと結婚し、息子ピーターを授かるが、マージョリーは出産直後に急死する。エディは妻の死とそのきっかけになった息子を受け入れることができず息子を親戚に預け、ニューヨークを去る。5年以上経ち、再開した息子とピアノを通して心を通わすことができるようになる。ようやく父子らしくなったところで、エディの病気が発覚し、余命1年と宣告される。エディは急に目の前に現れた自らの死に苦悩する。苦悩の中、覚悟を決め、エディは息子に真実を打ち明ける。最後にエディは穏やかな表情で息子と共にピアノを演奏し、物語は幕を閉じる。

美しいピアノの音色の中、繰り広げられるこの物語は、妻の死、そして自らの死、2つの死を受け入れる物語である。

 私にこの映画を勧めたのは、私が訪問診療を行っていた末期がんの高齢男性である。ベッドに横たわりながら「ぜひ見て欲しい映画がある」と言い、息子さんにとって来させたDVDが「愛情物語」であった。1週間後の再診時に感想をお伝えすると約束し、私はすぐにこの映画を観た。しかし、私が次に彼に出会った時は、お看取りの時であった。結局、映画の感想を伝えることはできなかった。死を目の前にした彼は、この映画にどのような気持ちを抱いていたのだろうか。もう誰も聞くことはできない。

 

 

 

「キューブラーロスの死の受容モデル」から思うこと

死の受容については、「キューブラーロスの死の受容モデル」が有名である。このモデルでは死の受容過程を5つの段階に分類している。

第1段階「否認」…自分の命が長くないという事実を感情的に否認したり、周囲と関わりを断ち孤立しようとしたりする段階。

第2段階「怒り」…死を認識した一方で、「なぜ自分が」と怒りがこみあげてくる段階。

第3段階「取引」…死を遅らせるために、神仏にすがったり、寄付や日頃の行動を改めることで死を回避できないかと「取引」をしたりする段階。

第4段階「抑うつ」…死の回避ができないことを悟り、悲観と絶望に打ちひしがれ、憂うつな気分になる段階。

第5段階「受容」…命が死んでいくことは自然なことだという気持ちになり、心に平穏が訪れる段階。

必ずしもすべての人が、これらの全ての段階を辿るわけではなく、また順番通りに進むわけではない。死を目の前にしたとき、人はこれらの様々な段階を移ろいながら苦悩する。

「愛情物語」の主人公であるエディは、すべての段階を経験していた。私にこの映画を勧めた患者さんは私の前では、「受容」した姿しか見せなかった。私が居ないところでは葛藤をしていたのかもしれない。

 

 

患者さんを前に、それでも私は信じて

死を前にした患者さんに私たちは何ができるのだろうか。痛みに対しては医療用麻薬を含めた鎮痛薬を処方することができる。その他、吐き気や息苦しさ等の薬や医療的なケアで対応できることをすべてしたとしても、死を目の前にした患者は苦悩をしている。そんな時、私たちは「ただそこにいること(being)」、それしかできない。

患者と家族にとって、「私たちがあなたのためにできることはもう何もない」と言われることは、孤独と絶望の感覚へ落される。同じことは医療職にもいえる。事実、医師や看護師は提供できるものが何もないと感じるときがある。そのようなとき、私たちは個人としての人間であることと、ただそこにいることの価値を頼りにしなければならない。死が差し迫った患者とともにただそこにいることの力をもつことで特別な言葉や動作がなくとも、患者や医療職といった役割を超えた人間性を分かち合える。「ゆっくりと、私は無力感の重要性について学ぶ。私は私自身の人生に無力を感じ、私は仕事をするうえでそれに耐える。秘訣は無力感を恐れず、逃げないことだ。死が差し迫った患者たちは、私たちが神でないということを知っている。彼らはただ、私たちが彼らを見捨てないかということだけを問う。」————(医学書院:トワイクロス先生の緩和ケアより)

「愛情物語」を勧めた患者さんに対しても、「いつでも呼んでください。そばに行きますから」と必ず声をかけ、あなたを見捨てたりはしない、そばにいるということを伝えていた。死を受け入れるこの物語を勧めたことが、私の振る舞いへの答えであったとすれば嬉しいことである。

患者は苦悩をする。そんな時に何もできないことに恐れ、逃げたくなる時もある。それでも「そばにいること」、その価値を信じて、逃げずに患者に寄り添っていきたい。

Author:谷口 尚平


こちらのページは、鳥取大学地域医療学講座発信のブログです。
執筆、講演、研修、取材の依頼はお気軽にこちらからお問い合わせください。

BY YukiIwata 0