「縁あって」
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つい先日、鳥取にも大雪が降り、早朝から雪かきに打ち込んでいた。こう書くと1人で雪かきをしていたように映るかもしれないが、実はその時1人ではなかった。私が住んでいるアパートの駐車場でスタックして出られなくなっていた車が数台いたのだ。不思議なもので、こういったときは自分の車の周りの雪かきは後回しにして、その車が出られるように手伝うのが当たり前になっている。これは私だけでなく、他のアパートの住人も含め、みんなで協力しながら、全員の車が出るまでお互いに手伝っていた。
近年は、地域の繋がり(ご近所さん付き合い)が希薄化していると言われている。その地域に属していても、その地域のコミュニティについて知らない、と言うことは多い。お隣さんがどんな人か、と言うことも知らない人は多いのではないだろうか。一方で、ご近所さんと「困った時に助け合う関係」が望ましいと答える人も多くなってきているようだ。「ちょうど良い」繋がり、とはどんなものだろうか。
今回のブログタイトルの「縁あって」は松下幸之助「道をひらく」から抜粋させてもらっている。その「縁あって」の中の言葉から上記について考えてみたい。
「人と人とのつながりには、実は人間のいわゆる個人的な意志や希望を越えた、一つの深い縁の力が働いているのである。」人との繋がりは当たり前、ではなく、実はもっと深い意味がある。
「おたがいにこの世における人と人とのつながりを、もうすこし大事にしてみたい。もうすこしありがたく考えたい。不平や不満で心を暗くする前に、縁のあったことを謙虚に喜びあい、その喜びの心で、誠意と情意をもって、おたがいのつながりをさらに強めてゆきたい。」人と関係していると、不平や不満をいだくこともあるが、雪かきでの助け合いのように、純粋な気持ちが重要なのかもしれない。
こういった人と人とのつながりを自覚する経験を通して、改めて自分の属するコミュニティや自分の周りの人を「見直し」てみると、意外に多くの発見や学びがある。「ちょうど良い」繋がりも、そういった発見から考えてみると良いのかもしれない。
現代に生きる私たちは、たくさんのストレスにさらされている。そんな中で誹謗中傷や他の人を傷つける行為もリアルワールド、デジタル環境ともに散見される。気持ちが落ち着かない、イライラする、そんな時に、ちょっと一息ついて周りを「見直し」てほしい。そこにきっと大きな発見と、人と人とが手を取り合える未来が見えてくるはずである。
縁あったことの謙虚な喜びを忘れずに。
Author:大塚 裕眞
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