「あなたのキャリアは、なんのためにある?」
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このブログにお邪魔するのは、数年ぶりになるみたいです。3年前からお隣の鳥取県地域医療支援センターに異動となり、県内で働く若手医師のキャリアサポートに携わるようになりました。
キャリアパスポート、持ってますか?
小学生の娘2人が、終業式前に「キャリアパスポート」なるファイルを持ち帰ってきます。その時の将来の夢や、学期始めの学習・生活の目標を書き、学期終わりにはその自己評価を書き、保護者や教員がコメントを書くという構造になっています。「とくいなこと」「がんばりたいこと」「がんばったこと」「次がんばりたいこと」……このキャリアパスポートファイルは、中学・高校まで連続して使う予定のようです。
小さい頃の”将来の夢“が叶う確率は、10%程度と言われています。わが子の将来の夢も年々変わっています。子どもに将来の夢を表明させることにどれだけ意味があるのか?という意見もあります。けれども、たとえ最終形は違っても、夢を持てば行動目標が立ち、それに向かって努力を積み重ねた経験は、人生にとって大いに意義があるのではないかと思います。
(できれば、大学・社会人までこのキャリアパスポート運用してほしい……)私は、仕事柄そう思ったりしています。医学生の中には、いろんなものを犠牲にして必死に勉強してきたからか、親元を離れた解放感からか、目標や夢を見失っているように見える人もいるのです。目標を言語化して行動に移していくのって、大人でも案外難しいので、大学生でも年に1回くらいは初心を思い出し、前期・後期の短期目標などを書き出してみるとよいかもしれません。
まあかくいう私も、医学生になった当時は気が抜けてしまい、試験を何とかクリアする程度に勉強して、部活や友人関係にばかりエネルギーを注いでいた気がします……。
でも、いくら遊んでいても、卒業後は必ず地元の地域医療に貢献できる医師になるという初心は絶対に捨てませんでした。
私のキャリアは、なんのためにあるのか?
先日、診療所に来た患者さんに、「いったいあなたは、どうしてこんな小さな町から医師になろうと思って実際になれたの?」と訊かれました。関東地方から移住してきたいわゆる高学歴のその患者さんは、山あいの居住エリアで家庭塾をしているが、将来の夢はあるのにイマイチ成績が伸びない教え子に頭を抱えていたようです。
私は、当時人口8000人ほどの町の中でも最も過疎の集落に生まれ、中学まで受験などの競争社会には無縁でのびのびと育ちました。すでに少子化が進んでいた集落でしたが、奇遇なことに近所にすごくピアノが上手な一回りくらい年上の「ゆうこちゃん」という素敵なお姉さんがいました。ゆうこちゃんは、スラッと背が高く、いつもニコニコ優しい憧れのお姉さんだったのですが、なんと、米子東高校から東京大学に進学したのです。幼心に、こんな辺鄙な場所でも、女の子でもなんでもできる?と思った記憶があります。
転機は、高校2年。勉強はそこそこに、熱中していた吹奏楽部を引退した冬、市内の総合病院で祖父が急病で亡くなりました。祖父を病院で看取った後、父の車の後部座席で祖父の亡骸を抱えて集落の実家に帰りました。正月の寒くて冷たい畳に、祖父の冷たい亡骸を寝かしながら、父はこうつぶやきました「生きているうちにもう一度この畳に寝かしてあげたかった」。
何度も祖父を思い出しては泣き、祖父との記憶をたどりました。獣医だった祖父の「おじいちゃん本当は医師になりたかったなあ」「美菜子はみんなの子“みんなこちゃん”」という声が脳内に響きました。
東京大学なんて違う意味で全然眼中になく、中学時代なんとなく医師に憧れはあったけど、1~2年次の模試は国立大学医学部D判定……。あきらめかけていた医師への道は、私だけでなく家族や他の誰かのための道でもあるのかもしれない。心に固く、奮起を誓いながら、自宅での告別式で葬送のフルート演奏をしたその時、私はゆうこちゃんから譲り受けた制服を着ていました。
自分の人生くらい、賭けてやる
「自分の人生くらい、賭けてやる」。この言葉は、7月の東京都知事選に立候補した、石丸伸二氏(元安芸高田市長)の挑戦に際した言葉です。私と同級の1982年生まれ、人口減少が進む山間部の土地の一般家庭に生まれ育ち、自力で京都大学に進学していったという経歴を目にし、勝手に親近感を抱き動向を追いかけています。
“誰かが、この地域を、この国を動かさないといけない、誰もいないなら自分がやるしかない。そのためなら、自分の人生くらい、賭けてやる。”
すさまじい覚悟です。居住エリアの人口が少ないからこそ、自身の能力や役割に気づき使命感に突き動かされやすいのでしょうか。自分にもどこか共通した部分があると感じます。
医学部の教育現場では、「どんな分野でもいいから、自分が好きなことをしなさい」という風に教員が医学生に語りかける場面がよくあります。しかし、私はそれだけでいいのか?といつも疑問に思ってきました。医師とは生身の人間を相手にするケア提供者であり「人のため」の職業です。さらにもし、提供できる医療に地域格差や分野の偏りがあったら、地域住民は困ります。医師ひとりひとりが、自身のキャリアのWillやCanだけではなく、Mustの部分を意識しなければ医師不足は永遠に解決しないまま。”自分はこの地域社会のために何ができるのか!?“といった利他的な姿勢や視点に価値を置いたキャリア形成の意識は、これからの少子高齢化社会の将来にカギとなると考えています。
私のキャリアは、人口最少県のふるさと鳥取の地域医療を支えるためにあると、不惑の年になり実感を強めています。地域の直接的インフラとして医療現場の一人として働くことも、大学病院での診療や若手医師のキャリアサポートも、鳥取の地域医療を守り良くしていくことに貢献している。そんな自分のキャリアに誇りを持てるようになりました。
誰かのため「利他的キャリア」は、いつしか自分のため「利己的キャリア」と重なってくる気がしています。あなたのキャリアは、なんのためにありますか?
Author:紙本美菜子
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