社会を変えるには:「トポス」を取り戻せ!
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社会を変える?
あなたは、社会を変えたいと思ったことがあるだろうか。
普段、日常生活をしていて特に困った経験がなければ、社会が変わる必要性も感じないだろう。
しかし、人によっては生活に困っていたり、ある種の問題などで国や自治体の制度がもっと良いものだったら、と感じる人も大勢いるだろう。
では、社会を変えるためにはどんな方法があるのだろうか。
デモ、投票、ロビイング活動、署名運動、いっそのこと政党を自分たちで立ち上げる……
でも、なんとなく、そうした活動をする人たちって「危ない人」「左翼的な人」「政治的な活動をする人」というイメージがないだろうか。
そもそもそうしたイメージは、どうして形成されたのだろうか。
日本の「68年」の学生運動と新左翼活動の挫折
1968年は世界中で学生運動が盛り上がった時期だった。
フランスでは「五月革命」と言われる学生と左翼的知識人(サルトル、ゴダールら)たちの大きな運動が盛り上がった。日本では、「新左翼」と言われた学生たちの運動があり、全共闘による東大安田講堂事件が起きたのもその頃である。
しかし、70年代以降、日本の社会運動は急速に下火になる。原因は、経済発展とともに時代が「政治」の時代から「経済」の時代にシフトしていったことだ。労組などの中間団体が弱体化し、新左翼の学生たちも就職していった。一部の過激化した活動家たちは、あさま山荘事件などを起こし、時代のあだ花と散っていったのである。
結局、当時の社会運動は一過性のもので、現在の社会には大きな影響を与えていないという感じもある。また、当時の学生運動をやっていた人たちのイメージはマスコミで誇張され、ヘルメットとゲバ棒をもった危ない人達という印象が今も残っているのである。
「連帯」できない現代人
しかし、今でも社会運動がないわけではない。
70年代以降の社会運動は、今にもつながる人種的・性的マイノリティの運動や、女性解放運動、エコロジー運動が始まった時代だった。
当時の社会運動の主体は、非階級型のカテゴリー(女性、性的マイノリティなど)や、公害・原発(放射能)などリスクに基づく連帯意識でまとまっていったことが特徴である。
しかし、そうした「カテゴリー」も現代では非常に多様化して連帯しにくい時代となってしまった。女性や労働者のあり方も多様化し、女性というだけでは連帯しにくい。働き方も多様化しているし、労働組合もほとんど存在しない。そうすると、苦境に陥っているのは自分が悪いからではないかという「自己責任」の意識ばかりが強くなってしまう。そういう時代なのである。
「対話」とは:正統性を通して「われわれ」をつくる
そうした時代にあって、私たちはどうやって社会を良い方向に変えていったら良いのだろうか。
社会学者の小熊英二は、新しい「われわれ」を作って、連帯して活動していくための処方箋を、著書『社会を変えるには』で示している。
そもそも、「われわれ」という感覚は、どうやって来ているのか。
例えば、ある政治家あるいはその主張が「われわれ」を代表(representation)している、そうした感覚は、政治学的に言うと「ガバナンス」や「正統性(legitimacy)」がある状態と呼ばれる。
そのためには、みんなが「納得」していることが重要なのであるが、そこで鍵になるのは「対話」と「公開性」だと言う。
私たちはすべての政治的問題に関して対話することはできない。それなら専門家に議論を任せておけば良いのではないか、そう思う人もいるだろう。
しかし、議論と対話は違う。対話(ダイアローグ)とは、ソクラテスやヘーゲルが問答法(弁証法)といった形で始めた活動であり、自分と他者(自分とは異なる価値観を持つもの)とが考えや意見を交わすことで、お互いが変化し、新たな次元(考え)に至るプロセスのことである。
つまり、自らが対話に参加し、自らも変わっていくんだという内発的な変化によって初めて、結果に関する「納得」が得られ、正統性が確保されるのである。
小熊は、社会を変えたいと思うならば、相手を変えたいと思うよりも、まずは自分が変わるための「対話」を小さな共同体から起こしていくことだ、と述べている。
トクヴィルの『アメリカの民主政治』に学ぶ
ここで、19世紀の政治思想家アレクシ・ド・トクヴィルが思い起こされる。
トクヴィルはフランスの思想家であるが、フランス革命には批判的な立場をとったことから、保守主義の思想家として挙げられることも多い。
彼が書いた『アメリカの民主政治』では、彼が当時のアメリカに渡って観察したことが書かれている。かの国では、権力が小さいながらも、人々による自治的な民主政治がうまく機能しており、その理由をトクヴィルは考察したのである。
彼が挙げた理由は、①土地を奪い合わないこと(土地が広い)、②自治組織としての民会(タウンシップ)があること、③持ち回りの公務が多いこと、④宗教(理念的な結びつき)が強いこと、であった。
つまり、市民はタウンミーティングを自ら発案し、そこで地域の問題を話し合い、保安官や陪審員という持ち回りの公務にもついていたため、市民の政治参画が盛んであった。そこでは、権力が上(国家)から降りてくるのではなく、下(市民)から積み上げられていくという意識が強かった。
人間にとって重要な「中間団体」
そして、トクヴィルが指摘したもう一つ重要なことがある。
それは「中間団体」の重要性だ。
中間団体とは、同業者の組合、教会、市民団体など、個人を守るような団体のことである。
フランス革命では、中間団体を組織することを禁止する法律(ル・シャプリエ法)が制定され、個人はバラバラになっていった。自由は獲得されたが、人々は「裸の個人」のような状態になり、その後フランス革命後の社会は、非常に不安定になってしまう。
トクヴィルは、こうした「中間団体」が人間にとって非常に重要なことを指摘しており、「自由な人民の力が住まうのは地域共同体の中なのである。地域自治の制度が自由にとってもつ意味は、学問に対する小学校のそれにあたる」と、その著書『アメリカの民主政治』で述べている。
「トポス」を取り戻せ!
政治学者の中島岳志は、トクヴィルが述べた「中間団体」のような存在を「トポス」という言葉で表現し、その重要性を指摘している(『「リベラル保守」宣言』)。
「トポス」とは、自分の場所、あるいは存在論的基盤のようなものである。東日本大震災・原発事故で故郷を追われた東北の人々は、まさに「トポス」を喪失した状態と言える。
それだけでなく、1990年代以降、私たちは「トポス」としての中間団体や共同体を失い続けてきたのではないだろうか。現代に起きている自殺、虐待、無縁死、引きこもりなどの問題は、その多くが共同体の空洞化とトポスの喪失によると中島は指摘する。
90年代の政治は、トポスの再構築を目指すべきであったが、当時の政権は「新自由主義」(聖域なき構造改革)にかじを切り、その結果、他者との関係性や共同体を喪失したバラバラな個人が残されたのではないだろうか。
したがって、私たちが取り戻すべきなのは「トポス」であろう。
それは、他者との対話と関係構築を身の回りの小さなコミュニティから始めることであり、それを通して、私たちの中間共同体(トポス)を取り戻すこと。そして、そのような参画を通して、新たな「われわれ」を作っていくことではないだろうか。
Author:孫 大輔
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