たつなみそうと故郷の記憶
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ゴールデンウイークを迎え、庭の隅々にたつなみそうが咲いた。小さなラッパのような花弁を縦に配置した楽器のような形の、小さな小さな草花だ。いつも5月連休を迎えると紫や白の色合いで、庭を華やかに彩る。風も心地よいこの季節、いま暮らしている米子の家の小さな庭で、たつなみそうに囲まれている時間を、私はとても幸せに思う。
実家の土地家屋を処分するという決断
今年は大きな決断をした。母の3回忌を終えて、とうとう鳥取の実家を処分することにした。処分というのは売却とかではなく、財産管理人を弁護士へ委託し、自分の所有物ではなくなったのである。この準備にあたり、仏壇や神棚の処分とお焚き上げ、米子の家に新しい仏壇の準備をして、ようやく落ち着いたところである。私の実家は江戸時代から続く旧家で、蔵や離れもある大きな家である。私と弟はそこで生まれ、19歳までは実家で暮らした。その思い出のある家を処分せざるえなかった顛末を語ってみたい。
2年前に独り暮らしをしていた母が急逝した。87歳だった。それまでも、肺炎や骨折などでたびたび入院していたが、介護を受けつつ何とか独居のまま実家で暮らしていた。私は米子在住なので、仕事や用事を見つけては鳥取の母を訪ねていた。母もその家で生まれ、家を継ぐために婿養子を迎え、私達子ども2人を育て、両親を看取り、最期までその家で過ごした。それだけつよい愛着のある実家だったが、晩年は庭の管理や傷んだ家の補修など、とても手が回らず、私ができる範囲で補修したり、業者を頼むなどして管理していた。父や祖父が元気だった頃、庭の木々は年間2回は剪定をしてもらい、毎日かかさず庭の落ち葉や雑草をとっていた祖父の姿を思い出す。当時は、「なぜそこまで庭をきれいに管理しないといけないのか」子供心にも不思議で仕方がなかった。
いざ、自分一人で家や庭の管理を行うとなったら、いろいろ見えなかった部分が見えてきた。木々の剪定はかなり費用がかかるので数年間キャンセルしていたら、木は伸び放題となり家が薄暗く日当たりが悪くなった。台風や大雪で枝葉がおちてトイや屋根を傷める。トイが落ち葉で詰まると、屋根の水はけが悪くなり、雨漏りにつながる、落ち葉が腐葉土となりトイからペンペン草がはえる。落ち葉は庭の水路を閉塞し、大雨になると水があふれて家周りの湿気が多くなる。湿気や雨だれの水撥ねが増えると、家の外壁が腐ってくる。つまりは、木々の剪定ひとつ怠ると、次から次にトラブルがふりかかるのである。逆にいえば、至極当たり前に過ごしていた子供の頃、どれだけの手間とお金と時間が投入されて、この家が維持されていたのかということを考えるのである。トラブルといえば、母が仏間の隣室の上部の白壁が黒く変色してカビではないかというので、現場を見ると白壁の上から黒い沁みのような模様が広がっている。雨漏りに違いない。その部屋の周囲を観察すると廊下の天井も雨漏りでそりあがっている。これはまずいと思い、外から屋根を調べると、大屋根のトイからの排水管が破損しており、雨が降ると破損部から一階屋根に滝のように水をふき出している。原因がわかったので、アルミテープやら漆喰補填セメントやらを購入して、自ら屋根にでて補修をおこなった。しかし、すでに雨漏りで傷んだ天井裏や内壁はいかんともしがたい。もっと悲惨だったのは、突然の大雪で大屋根に雪がたまり、温度がゆるんでの雪ズリが下の一階屋根を直撃し軒が破損したときだ。棚木が折れて屋根がひしゃげてしまい、屋内から空が見えていた。そもそも重い屋根瓦を使った作りなので、業者の補修の見積もり額を聞いて仰天した。実際そんなお金は払えない(払いたくない)。その後、ブルーシートの簡易補修で2年弱ほど頑張ったが、結局、雨漏りや腐食がすすみ、周囲の屋根全体が傾きかけて、もうだめだと観念し、銅板スレートで色が目立たないような形で補修してもらった。瓦屋根ほどではないが、それなりの補修額がかかった。
そうこうするうちに、裏手の氏神の祭られている神社への参道に接する境界部で、実家の庭と参道を区切る竹塀が崩れた。竹をつらねた30mほどの塀のそこかしこで、竹が腐って横倒しになり、参道から庭の内部が透けてみえるようになっている。竹塀なので、裏山の孟宗竹を切り倒し、長さを整え切断し、いったん乾燥させて、外塀の場所まで運び、起点となる横軸の竹に縛り付けるのだが、この作業がまた生半可ではない重労働である。やってもやってもきりがない。途方に暮れた私をみかねたのか、通りかかった村の人は「素人がやってもいけんよ、プロに頼まにゃ」と親切なアドバイスをくれる。でも、プロに頼むにゃお金がいるんだよ、と心の中でつぶやく。家屋だけでなく耕作してない畑の管理もたいへんだ。5月になると雑草が一気加勢に伸びはじめる。伸びては草刈りし、伸びては草刈りの繰り返しが秋まで続く。8月の炎天下での慣れない草刈りは危ない、熱中症のリスクがあるのだ。また、庭や畑地に生える葛などのカズラは、本当にたちが悪い。切っても切っても生えてきて、そこいら中にランナー(地面を這う茎)を伸ばして手がつけられなくなる。ウェブで調べたらツタの根っこにドリルで穴をあけ、ラウンドアップのような除草剤を注入したら枯れるとあったので、庭のカズラの根にやってみたが、これも一時的な効果しかなかった。そのうえ、2年前の夏には鬱蒼とした藪の中で作業していた間にマダニに咬まれ、大学病院の皮膚科で切除してもらう羽目にもなった。
ここまで読まれたら、家と土地の管理がどれほどたいへんなものか少しはわかってもらえたのではなかろうか。
事務処理だけで気持ちの整理はつかない
このたび、家の管理責任を移行して本当に気が楽になった。その一方で、生まれ育った実家がなくなるという、事前には予想もしなかった決断への問いかけが繰り返し現れる。故郷を失うということは何を意味するのか。当然あるべき土台のような前提がなくなる。何をやっていても、失敗しても、帰るべき場所がもうなくなるのだ。そして、先祖が営々と築いてきたものが、あっという間になくなる。できれば、蔵の中や子供のころ両親と暮らした離れを、退職後にゆっくりと整理したかったというのが正直な気持ちである。荒れ果てた庭も、祖父ほどではないにせよ、掃除して手間暇をかけて手入れしてみたかった。後悔がないといえば嘘になる。小さい頃からの記憶は私と弟にしか残らないのだと思うと寂しくなる。亡くなった母を含め、祖父や伯父や家族が大切に守ってきた家を処分するのは、心苦しいことである。夜ひとりで眠りにつくとき、ふと、実家を手放すという決断は未来にどんな影響を与えるのか、そして自分ですら、いつか強い後悔に苛まれるのではないかという不安で目が冴えてしまうこともあった。
このたびのことで、あらためて故郷とはなんだろうかと考えた。あって当たり前の場所は、じつは誰かが苦労して守ってきたものだったのだと気づかされた。故郷を失うこと、ノマドランドという映画で主人公は家を捨てアメリカ大陸をキャンピングカーで移動して暮らす、その途方もない自由と厳しい孤独。今回の判断の決め手となったのは家族の強い反対であった。誰も暮らさない、管理に大変な手間とコストのかかる実家をどうすべきなのか、将来実家の家屋を壊すコストも予想外に大きい。家族会議の結論は明白だった。その中では私のノスタルジーは力を持たない。私の家族にとって鳥取の家は、母の暮らした家、それだけの存在である。母が去れば何の愛着もないのは当然のことだ。では、今までの先祖はなぜこの土地と家屋を大事に守って来たのか。旧来の家族制度、農村という土地柄、社会の防壁としての家、そして先祖の遺産を守るという義務。いずれも時代遅れの価値観なのかもしれないが、どこかそういう慣習や打算でない、もっと深くて大切な意味合いを見過ごしているような気がしてならない。故郷を失いノマドとして生きることは、本当に自由で幸せなことなのだろうか。悩ましい気持ちはずっと続いている。
故郷とは記憶そのもの
庭のたつなみそうは5月の風に揺れている。一週間もすれば枯れて人目に付かない雑草に戻ってしまう。でも、私は来年のたつなみそうの咲く庭をすでに夢想している。そうすると、枯れてしまって彩のない庭もなんだか無性に愛おしくなる。故郷とは記憶ではないのか。その記憶というのは一人ひとりちがう風景をもっている、誰か他の人と入れ替えることはできないし、その記憶を共有した者以外には決して理解できないものかもしれない。過去の彼方に消えてしまう風景、でもそれ故に貴い記憶、そういうものを大切にできない人間は、結局のところどこにいっても寂しさを抱えて生きるしかないのではないかと思うのである。
Author:谷口 晋一
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