「大人もつらいよ」
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「こどもはつらいよ」と本気で思っていた。
小学生だった私は、週5日、朝から夕方まで学校に行かなくてはならなかったし、体が痛い、寝不足だ、鼻水が出て体育の授業がつらい、そんな程度では学校は休めなかった。
両親が共働きだった私にとって、身近な大人は再放送のテレビに出る俳優たちだった。私は刑事物が好きだったが、刑事たちは事件のない時は出勤していないし、事件の時も好きな時に好きなように捜査をしていた……そのような大人を見て「大人は気楽だ」と思っていた。
しかし、いざ大人になると、大人の世界は気楽ではなかった。学生の頃は課題をこなしているだけで良かった。受験や進学で数年単位の区切りがあり、目標も立てやすかった。限られた選択肢の中でレールを踏み外さないようにさえしていれば良かった。ところが、大人はそうはいかない。無数にある選択肢の中から、最善の道を模索し続けなくてはならない。
自分の人生を「生きる」、「生き抜く」ための無数の選択肢
今の職場に留まるか、否か。この資格を取るか、否か。選択の連続だ。選択に思い悩むことも多々ある。どうしたら良いだろうか?『教わる力』の提唱者である牧田幸裕先生は、選択をしやすくするには自分なりの評価軸を作ると良い、と述べている。この場合は「どう生きたいか」という人生の指針を持つと良い、と言えるだろう。
ところが、話はそう簡単ではない。「どうしたら生き抜けられるか」という生存戦略も考えなくてはならない。この「生き抜く」がやっかいだ。「これをすれば生涯大丈夫」という必勝法が見あたらないからだ。
その時々の「生き抜く」ための有力な選択肢はある。ところが、勝ち馬に乗ろうと思った頃には、勝ち馬はすでに消えている。なぜなら、変化し続ける社会の影響を受け、「生き抜く」ための有力な選択肢も絶えず変化しているからだ。「生き抜く」ためには、変化し続ける社会に適応し続けなくてはならないが、いつまで続けられるか……不安はつきない。
私が思う生抜けなくなる不安への対処法とは
どの様な生き方をしたところで、生き抜けなくなる可能性はついてまわる。工場労働者が組み立てロボットに立場を取って代わられた様に、頭脳労働者も生成AIに取って代わられる、という意見がある。私の目指す家庭医も、10年後には最新の生成AIを搭載したきれいな見た目のアンドロイドに取って代わられているかもしれない。一方、人間の手の動きと触覚は現在の技術では再現できないため、細かな手先の技術で勝負する職人は生き残る、と言われている。だが、ひとたび技術のブレイクスルーが起これば、機械に対する人間の手の優位性は失われる。このブレイクスルーが予想より早く起きない確証はない。
生き抜けなくなる不安への対処法としては「どう生きたいか」という評価軸を持つことだと、私は思う。軸が保たれていれば、目的を達成するため手段を変えることはたいしたことではない。ただ、この「どう生きたいか」を見つけることは簡単ではない。ロールモデルを見つける、内省を重ねるなどの方法はあるが、サッと使えてサッと効く、特効薬はないのだ。
「大人もつらいよ」と大人になっても私はボヤくのだった。
Author:小原 亘顕
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